誕生物語

霧島高原ビール誕生物語

弊社会長 山元正博

日本のビールが変わった年
日本のビール業界を大きく変えた1994年。
ビール製造免許が緩和され、小さなブルワリーでもビールを製造することが可能となった。
これが地ビール(クラフトビール)の始まりである。
また同年に第三のビールも登場し、まさに日本のビール業界は大きな変革期を迎えたのであった。

想い
弊社会長はこのニュースを聞き、どうしてもビールを作りたいという強い思いに駆られた。
というのも古来から日本の食文化を支えている麹の研究者として長年研究を行っている会長には、ある想いがあった。その想いとは、「麹の研究者として最高のビールが作れるのではないだろうか」というものだった。

チェコ、ピルスナービールとの出会い
日本国内での麹研究も多忙な中、その強い想いに突き動かされるように最高のビールを探して世界中のビールの飲み歩きの旅に出発。アメリカから始まりカナダ、オーストラリアなどを経てヨーロッパへ。たどり着いたのはドイツ、ニュルンベルグの町で開催中のビールの見本市だった。数百種類のビールが所狭しと並ぶなか、3日間かけて二日酔い、いや三日酔いの状態で並ぶビールをすべて飲んでまわった。
そんな三日酔いの中でもすっと飲めて「うまい!」と思ったビールがあった。それこそがチェコのピルスナービールだった。

このビールを日本で
「このビールを日本で造りたい!」この強い想いでニュルンベルグから電車にのってチェコのプラハへ。片っ端からビール工場をまわるも、突然あらわれた東洋からの奇妙な来客の話に耳を傾けるチェコ人がいるはずもなかった。そんなことではへこたれない弊社会長は、「絶対に日本でこのビールを造る!」この強い想いで数々の困難をくぐり抜け原料の麦芽、ホップ、醸造設備、そして職人ブルーマスターまでも、独自にチェコから国内に導入することに成功した。しかし安定的に最高なビールを造るためには、まだ足りない部分があった。

伝統の製法が生む最高のビール
クラフトビールを始める多くのメーカーが商社や、大手ビールメーカーから技術を導入している。これは当然のことである。なぜならば、ビール造りの技術はベースは同じようなものだからだ。しかし、どうしてこれほどまでチェコのピルスナービールはうまいのだろうか。それには職人それぞれが持つ秘伝の独自な製法技術が大きく関わっていた。「これは見よう見真似で出来るものではない。」そう思った弊社会長は製造技術を取得するために、社員をチェコのビール工場に派遣する。この現地に派遣されたスタッフの持ち帰った秘伝の技が霧島高原ビールに活かされている。しかしこれだけでは、霧島高原ビールが誕生することはなかった。

霧島の自然の恵み「水」
博士号を持つ研究者である弊社会長は、科学的な側面からも徹底的にチェコのピルスナービールを分析した。すると、どうしても日本で造りたいと思っていたビールには、チェコのピルゼンの水を使用して製造されており、その硬度は2.8という超軟水であることがわかった。当然のことながら、水の性質は、味だけではなく、のどごし、キレなどビールが持つその全てを大きく左右するもの。そこで霧島高原ビールの醸造に使用する地下水の硬度を調べてみたところ、驚くべきことにチェコのピルゼンの水と同じ硬度2.8の超軟水であることがわかった。これにはチェコ人のブルーマスターも「これなら間違いなくいいビールが出来る」と、一同が歓喜に渦に包まれた。

誕生
チェコのピルスナービールで使用されている原材料。
古くから伝わる伝統の製法を再現。
霧島の自然の恵み、超軟水の水。

このような数々の努力と奇跡をえて霧島高原ビールが、ようやく誕生した。